2023年4月14日金曜日

TYOVサンプルキャラクターのその後2

 『サウザンドイヤー・オールド・ヴァンパイア』でサンプルとして作成したキャラクター、八五(はちご)は17回目で【啓示】28番の1つ目[17/28/1]に至りました。

自分が得子なる強大な物怪の子だと、他の不死者との遭遇で確信した八五は〈記憶〉を基に「奥州藤原氏、藤原高衡に連なる高貴な血統の持ち主である与一(よいち)」という自作自演の来歴と人格を作り上げます。もはや与一は偽名ではなく本当の名です。

この無理やりな心理操作は“与一”という人物像を作り出す基になった〈記憶〉を消してしまいました。
〈記憶〉記入欄IVで打ち消されている〈体験〉3つがそれにあたります。

以降、また別の名を使うようになるまで、彼を与一と呼びます。



与一は北条執権時代、南北朝時代、室町時代を生き抜きます。

十代半ばの姿で長らえすぎて怪しまれるようなら、しばらく身を隠し、受け継ぐべき大切な名である“与一”を名乗る嫡男として再び現れました。

南北朝時代には持明院統(北朝)側につき、独自の財力と兵力を持つ貴重な幕府の相談役、あるいは間諜として重宝されましたが、謀反の疑いがある足利直冬を偵察した折に、直冬の幼い息子、灘丸と出会い、親交を結びます。与一はそのまま播磨に居着いて反幕府に転じました。

しかし、与一は元服して冬氏となった灘丸を溺愛するあまり、彼の精を吸って不死者にしてしまいます……。

灘丸あらため冬氏は、父亡き後も幕府の追討から逃れて播磨に潜伏。
嘉吉元年(西暦1441年)、自らを「直冬の孫、冬氏の嫡男」義尊だと称して、倒幕勢力の総大将になります。

義尊(冬氏)を庇護する与一もまた播磨の陣にいたのですが、そこに彼の過去を知る人物が現れました。
脇屋義助――かつて天台山門派の高僧たちの命を受け、大覚寺統(南朝)側の武将として与一を襲った男。
とはいえ義助はとうの昔に四国で病没したはず……これは足利幕府打倒の機運に乗じて現れた怨霊なのかもしれません。

義助は与一を「持明院統、すなわち幕府に与する物怪なり」と陣内で喝破します。

元より与一の素性を疑う者はいくらでもいました。
儀助の暴露が追い打ちになって、与一は倒幕勢に身の置き場がなくなります。おまけに元は幕府側だったと知られては、愛する冬氏のそばにも居づらくなりました。

泣く泣く与一は播磨から出奔――吸血鬼になって255年の歳月が流れています。

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